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【追悼GIF】昭和の爆笑王・志村けんのエロいコントシーンを集めたGIF画像まとめ

【志村けん伝説】今も心の中で輝く昭和のドリフ黄金時代

【志村けん伝説】今も心の中で輝く…昭和の“ドリフ黄金時代”

昭和という時代、毎日の生活で一番の楽しみは夕飯時、家族そろって見るテレビの時間だった。まるで漫画のサザエさんのようだが、1970年代の東京の下町にはそんな光景が生きていた。

僕が中学生だった76年頃、お茶の間をにぎわせていたのが、ハナ肇とクレージーキャッツやコント55号、そしてザ・ドリフターズだった。毎週テレビで体を張った熱血コントを繰り広げていた。

その頃の週末土曜日の夜7時には『まんが日本昔ばなし』が始まり、7時半から大橋巨泉司会の『クイズダービー』、そしてチャンネルはそのままで8時になるといかりや長介の合図でスタートする『8時だョ!全員集合』というのがわが家のルーティンだった。

その全員集合で荒井注さんに変わって、いつの間にかドリフの中心メンバーになっていたのが志村けんさんだった。

志村さんが一躍全国的に有名になったのが番組内の「少年少女合唱団」の中で歌った『東村山音頭』。地元にもともとあった唄をアレンジしたもので、ここから単なるコメディアンを超えて、アイドル的な存在になった。

ドリフのグッズとして鮮明な記憶なのが、トンボ鉛筆MONOを1ダース買うともらえた景品「くびチョンパ」だ。荒井注さんが現役の頃の景品だったが、MONO鉛筆は高くて僕には手が出なかった。

「くびチョンパ」はその後ヒゲダンスのバージョンが出ていたようだ。そして70年代後半には志村さんがそんごくう役で出演していたドリフの『飛べ!孫悟空』という人形劇番組があった。

子供からは絶大な人気があったが、全国のPTAからはワースト番組という烙印も押されていたが、本当に愉快で楽しい番組だった。

この頃から志村さんのキャラが強く押し出された感じがする。「だいじょうぶだぁ」「バカ殿様」「カラスの勝手でしょ」など歴史に残る数々の伝説的コントが誕生していった。

昭和生まれの僕にとって、そんな志村さんがいたドリフターズの黄金時代が今でも記憶の中で輝いている。

あっという間にこの世を旅立った変なおじさんは、きっと天国でも「だいじょうぶだぁ」とみんなを笑わせているに違いない。

[via:https://www.zakzak.co.jp/ent/news/200422/enn2004220001-n1.html]

期間限定で動画を公開中

志村さんが所属していた「イザワオフィス」は、先月18日から同社の公式YouTubeチャンネルで、再編集したフジテレビ系コント番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」の動画を期間限定で公開。

動画は全10本で、そのうち9本を広告付き動画に設定。動画視聴によって得られる広告の収益は、必要経費を除いて日本赤十字社に寄付されるという。

「所属事務所が公開した動画のうち、特に人気なのが、薬物事件で逮捕を繰り返す田代まさし氏が出ている1本目の動画で、4月末までの再生回数が520万回を突破。

ほとんどのコントに出ているが、志村さんとのコンビネーションは絶妙。事務所はよくぞ、その動画を公開したという感じ」(テレビ局関係者)

志村さんの死後、関連するDVDは複数のタイトルが売れ筋となっているが、特に初期の作品はパワハラ・セクハラのオンパレードだ。

「夫婦コントで研ナオコに『ひどい顔だねぇ』と言い放って、鼻の穴に指を突っ込むなど、今のコンプライアンスだったらアウト。

しかし、“ギリギリ”のラインまで攻めてこそ、視聴者を引きつけることができると思うので、“昭和の笑い”のクオリティーの高さはとても参考になる」(30代前半の放送作家)

今後、志村さんのコントは「お笑い道」を志す人々にとっての格好の“教材”となりそうだ。

[via:https://www.zakzak.co.jp/ent/news/200422/enn2004220001-n1.html]

【関連リンク】
IZAWA OFFICE / イザワオフィス|YouTubeチャンネル

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