市川演じる主人公、中沢恵美子は高校2年生。授業をサボって部室で雑誌を読んでいると、池松が演じる先輩がやってきて、突然キスを迫られる。
そして、それを許してしまったがために、元からほのかに抱いていた先輩に対する恋心は止まらなくなってしまった。
しかし、彼はこう言い捨てる。「女の人の身体に興味があっただけ。君じゃなくてもよかった」。そんなひどい発言を受けても、動き出してしまった恵美子の気持ちは止めることができない。彼女は、「欲求を満たすだけの役割でいい」と、狭い部室でむさぼるような情事を交わしていく……。
そして、そんなふしだらな高校生活と同時進行で描かれるのは、高校を卒業して、上京した後の2人の生活。相変わらず先輩から愛を与えられない恵美子だが、彼女はひとり暮らしのアパートで彼に抱かれ続けている。
上から、横から、後ろから、揉まれ、舐められ、優しく、激しく……と様々な行為を繰り返すが、まるでセフレのような彼との関係に寂しさを募らせ、ついに他の男とのアブノーマルなセックスを経験する……。
この映画の原作となった小説は1978年、中沢けいによって執筆された同名小説。その過激な内容とはうらはらに、当時18歳の女子高生作家による作品ということがセンセーショナルな話題となり文壇を激震させた。
第21回群像新人文学賞を受賞したこの作品を、36年以上の時を経て『僕は妹に恋をする』『blue』などで有名な安藤尋監督の手で映画化したのが昨年のこと。単館上映ながら、なんと興行収入6,000万円を記録するヒットを飛ばしてしまったのだ!
もちろん、『呪怨』や『NANA2』などの作品にも出演し、清純派女優のイメージが強かった市川由衣が、SMシーンも含まれる大胆な濡れ場に挑戦したことで、全国の男性が狂喜し、映画館へと押し寄せたことは想像に難くない。
劇場での上映が拒否されたという“過激すぎる”予告編からも、そのエロさはムンムンと伝わってくるだろう。市川が「女優人生において転機になるような作品」と語るのも頷ける内容だ。
しかし、それだけがヒットの要因ではない。この作品にとって、もうひとつの魅力が、文学的な憂いを抱えながら少女の心理描写と成長を描く物語の内容だ。
海を背景にして、思春期の少女の揺れ動く心を丁寧に映し出す内容には、派手さこそないものの、少女を描く繊細で誠実な視線がある。
そして、セックスの快楽と、感情が満たされない寂しさの間で揺れ動きながら、ついに「大人」へと足を前に踏みだしていく恵美子の姿は、エッチな視線でこの作品を見始めた紳士たちをも巻き込みながら深い感動へと導いてくれるだろう。
そしてその時、市川由衣のセンセーショナルで、大胆で、過激なセックス描写は、繊細な少女が快楽によってその心から目を背ける「子供」の行為であったことに気付かされる。執拗なまでに描かれたセックスは、愛や快楽ではなく少女の弱さを意味するものだったのだ。
先輩に対して「欲求を満たすだけの役割でいい」「どんなかたちでもいいから必要とされたい」と願い、その身体を許してしまう少女の気持ちは、ある意味では純愛そのもの。
けれども、大人になるにつれて、当然そんな「純愛」とは別れを告げなければならない。誰もが経験する思春期の恋愛とは真逆の内容ながらも、『海を感じる時』には、普遍的な感情が描かれているのだ。
[引用/参照:http://www.cyzo.com/2015/04/post_21189.html]