小林麻美 プロフィール
(こばやし あさみ)
本名:田邊 稔子
(たなべ としこ)
旧姓:小林
生年月日本名:1953年11月29日
出生地本名:東京都大田区
学歴:普連土学園中学校・高等学校卒業
高校一年の時、少女雑誌のモデルにスカウトされる。
1970年、文化学院在学中にライオンのコマーシャルに出演しデビュー。
1971年、TBS系『美人はいかが?』でドラマ初出演。
1972年、18歳の時、東芝レコードから「初恋のメロディー」で歌手デビュー。
当時のアイドルに多く求められた、明るく無邪気に笑顔を見せる天真爛漫さとは対極にあるような、殆ど笑顔を見せずにうつむき加減、猫背で気だるそうに歌う小林の姿は異質にも映り、暗い印象を持たれた。
1976年までに年に1枚程度のシングルをリリースするが売り上げは伸びず、アイドル歌手としては不向きとみた事務所の方針で歌手活動は自然消滅となる[1]。
小林の名が浸透したのは1970年代後半、資生堂、パルコなどのCMに起用されてから。特に1977年のパルコCM「淫靡と退廃」で、細い体や暗さが受け入れられた。
1984年に8年ぶりに歌手として「雨音はショパンの調べ」をリリース。大ヒットしたが、当時歌番組で歌ったことは一度も無かった。
公称167cmと長身で華奢と言えるほど細い身体、ゆるくウェーブのかかったワンレングスの長い髪、溌剌と話さず物静かで寡黙、陰のある表情が印象的で、そのアンニュイな雰囲気が都会的と言われて人気を得た。
1991年、所属していた事務所の社長の田邊昭知と結婚、家庭に入るため芸能活動から引退した。
2016年7月20日発売のファッション誌「Kunel」9月号(マガジンハウス)の表紙を突如飾り、同誌で新連載「伝説のおしゃれミューズ」をスタートさせる事となり、25年ぶりに復帰することとなった。
[via:https://ja.wikipedia.org/wiki/小林麻美]
h1 class="entry-title photo-title">デキ婚&電撃婚の過去<
小林麻美(当時37歳)が所属事務所社長である田邊昭知氏(当時52歳)と突然の結婚発表、芸能活動から引退。しかも2カ月前に極秘で長男を出産していたことを明らかにした。
当時、事務所社長と所属女優という立場であったため、二人の関係は秘密だった上に、交際は17年にも及んでいた。
小林は半年ほど前から仕事をセーブしていたが、出産のひと月前まで仕事を続けていた。その間、テレビ関係者や事務所の社員も一切、妊娠に気づかなかった。
後に「結婚という形を取れなくても、子供は産みたかった」と言っている。