八代亜紀 プロフィール
(やしろ あき)
本名:橋本 明代
生誕:1950年8月29日
出身地:熊本県八代郡金剛村(現・八代市)
死没:2023年12月30日
血液型:B型
職業:歌手、女優、画家
ジャンル:演歌、歌謡曲、ジャズ
活動期間:1971年-2023年
レーベル:
テイチクレコード
(1971年 - 1981年)
センチュリーレコード
(1982年-1985年)
日本コロムビア
(1986年-2023年)
Virgin Music
(2017年-2023年)
事務所:ミリオン企画
Instagram:八代亜紀(@aki_yashiro)
Facebook:八代亜紀(aki846)
YouTube:八代亜紀ちゃんねる
TikTok:八代亜紀(@akiyashiro)
アメブロ:八代亜紀(akiyashiro)
GALLERY:YashiroMusic&Gallery
生い立ち
幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育つ。この影響もあり歌が好きで、地元の歌唱コンクールに出場していた。
八代が小学5年生のとき、たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き、そのハスキーボイスに魅せられる。
ハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干のコンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するようになる。
八代亜紀 バスガイド時代
15歳で上京してクラブ歌手に
八代市立第六中学校卒業後、九州産業交通にバスガイドとして就職する。しかし人前で話すのが苦手で、業務中に歌声を披露する機会もないため3ヶ月で退職した。
その後は地元の「キャバレーニュー白馬」に歌手として雇われる。ところが父の会社の従業員が客としてやってきたために3日で発覚してしまう。「不良は家にいらない」と勘当され、東京にいる従姉妹を頼りに上京した。
上京後は歌える喫茶店で学費を稼ぎながら、音楽学院で基礎を学ぶ。数年で銀座のクラブで歌うようになり、学校に行かなくなった。
そのころは主にスタンダードジャズやポップスを歌っていた。同じクラブで歌っていた三谷謙(のちの五木ひろし)から芸能プロダクションを紹介される。
デビューシングル「愛は死んでも」
歌手デビュー
1971年にテイチクより「愛は死んでも」でデビュー。芸名の姓は出身地の八代(やつしろ)市から採り、語呂を考えて「やしろ」という読みにした。。
その後、よみうりテレビのオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場して10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンとなったことで、徐々にレコードが売れ始める。
1973年に「なみだ恋」が120万枚のヒット。その後も、女心を歌った曲でヒットを連発する。トラック運転手から“トラック野郎の女神”として絶大な支持を得るようになる。
1979年に新境地を開拓した初の男歌「舟唄」が大ヒットし、1980年に発表した「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞を受賞する。
NHK紅白歌合戦では2年連続大トリを務めた。ほどなくして「演歌の女王」と称されるようになる。
厚化粧のイメージで、嘉門達夫に「リバーサイドホテル」の替え歌で「誰も知らない素顔の八代亜紀」と歌われたり、ビートたけしにも「厚化粧で、笑うとヒビが入る」などのギャグのネタにされていたが、実際の化粧は薄い。
ボランティア活動や地域社会貢献活動などにも長年関わっていた。1981年より女子刑務所の慰問公演を始め、その後は老人ホームや福祉施設にも赴くようになった。2000年、日本全国すべての女子刑務所を訪問した。
ベテラン歌手へ
1987年に個人事務所「ミリオン企画」を設立。1990年に「花(ブーケ)束」を発表。ポップス調バラードの同曲は八代の新たな一面を引き出し、演歌ファン以外からも支持されてロングセラーとなった。
1994年に元歌手でマネージャーだった男性と結婚。2021年1月に離婚。
2012年ごろからジャズ、ブルースなどを本格的に歌うようになる。コンサートやディナーショーは演歌・ジャズ・ブルースを構成した内容で、ジャンルレスを掲げていた。
ジャズアルバム『夜のアルバム』を発売。同作は世界75か国で同時配信され、歌手活動42年目で世界デビューした。
2017年10月、ジャズアルバム第2弾『夜のつづき』を発売し、前作『夜のアルバム』に続いてiTunesジャズチャートで1位を獲得する。
晩年〜死去
2023年9月12日、膠原病の一種であり指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎のため、年内の活動を休止することを発表した。
以降は療養を続けてきたが、同年12月30日、東京都内の病院で死去した。73歳没。
葬儀は八代の遺志により、明けて2024年1月8日に事務所スタッフのみで執り行われ、訃報は翌9日に所属事務所より公表された。
2024年2月7日、熊本県は「国民に広く敬愛と感動を与えた」として「熊本県民栄誉賞」の授与を発表した。
俳優の新田純一とは公私ともに親しく、2016年から亡くなるまでラジオ日本『ムーンラウンジ846』で共演。
新田の妻が八代のヘアメイクを長年担当していており、八代の療養の際にもスタッフとともに、ほぼ付きっきりで寄り添ったという。
新田は八代の危篤の報を受けて駆け付けており、臨終も夫妻で看取っている。
[via:https://ja.wikipedia.org/wiki/八代亜紀]
八代亜紀 ヌード写真流出トラブルのウラに不倫相手との別れ
2023年12月に急逝した歌手の八代亜紀さん(享年73)が20代の頃の“プライベートで撮られた一糸まとわぬ姿”の写真が世に出るかもしれない――として、物議をかもしている。
50年近く前の“私的写真”が、なぜ今になって流出するのか。
「『ニューセンチュリーレコード』が4月21日に発売を予定している、八代さんの“お宝シリーズ第一弾”とするアルバム『忘れないでね』(税込3700円)の“封入特典”として、プライベートで撮影された一糸まとわぬ姿の写真をプリントしたものが準備されているというんです。
同社によれば、写真は《八代亜紀が24~25歳の時に同棲していたT社のNディレクターによってポラロイドカメラで撮影された》ものだといい、同社の公式HPでも、その貴重さがアピールされています。
この件が3月13日発売の『女性セブン』(小学館)で大々的に報じられたことで話題になっています」(女性誌ライター)《中略》
熊本県八代市出身の八代さんは、中学卒業後、歌手を夢見て上京。クラブやキャバレーなどでアルバイトしながら歌っていたところ、歌の才能を見出された。1971年9月、21歳のときに『愛は死んでも』でデビュー。
デビュー後しばらくは鳴かず飛ばずだったが、73年の『なみだ恋』がミリオンヒットすると、その後もヒット曲を連発。70年代から80年前半まではレコード大賞もたびたびノミネートされた。
プライベートでは94年、元歌手でマネージャーの男性と結婚し、公私ともに人生をともに歩んできたものの、21年に離婚している。
そんな八代さんについて、「恋多き女性でしたが、なかでも結婚前に既婚者だったN氏と交際していたことは有名だった」と、元女性週刊誌デスクは振り返る。先の“私的写真”は、このN氏との交際中に撮られたものだ。
「N氏が、八代さんを発掘し才能に惚れ込んでスターに育て上げたレコード会社のディレクターです。
八代さんも恩人であるN氏には全幅の信頼を置き、デビュー直後から交際の噂が流れていましたね。自身の事務所として契約したマンションでも常にN氏とベッタリ。
N氏とはいわゆる“不倫関係”になりますが、八代さんは『好きになった相手にはいつも奥さんがいる』『結婚ということにはこだわらない、同棲で十分』といった発言をするなど、自由奔放な恋愛スタイルでした。
当時は各メディアがこぞってこの件について報道していましたよ。
その後N氏が82年に新しいレコード会社を設立し、八代さんもそれについて行ったときには、いよいよ八代さんが“略奪婚”するかともっぱらの噂だったものです」(元女性誌デスク)
私的ヌードで商売には疑問の声も
当時の業界事情を知る老舗レコード会社関係者も、「N氏が独立したとき、八代さんとは駆け落ち同然だった」と言い、こう続ける。
「N氏の八代さんへの熱の入れようは周知の事実で、新会社も八代さんのためにつくったようなものです。
ただ、会社を大きくするために次なる新人を育てようとして、結果的に八代さんの名前を“利用”した格好になってしまい、2人の仲は急速に冷えていったとか。
結局N氏は離婚しないままでしたし、1985年の夏頃には破局したとささやかれました。最終的に業を煮やした八代さんが飛び出し、別のレコード会社への移籍を発表したという経緯があります」
『週刊新潮』(新潮社・86年10月30日号)は当時、N氏が離婚して2人は結婚するだろうと言われていたがN氏がなかなか離婚に踏み切らなかった、と報じている。
そのことで、2人はしょっちゅう痴話喧嘩をするように。破局する年には“顔も見たくない”といった関係になり、最後に八代さんはN氏にこう言い放ったとある。
「あなたとは一緒に仕事できない。コロムビアに移籍する」
八代さんがいなくなったN氏の会社は86年夏、倒産状態に追い込まれた。一方の八代さんは晩年まで名曲をリリースし続け、ジャズ・ブルース歌手としても活躍――。
今回、約40年の時を経て八代さんとN氏の極めて私的な写真付きのアルバムを販売するのは『ニューセンチュリーレコード』。
『女性セブン』によれば、八代さんが抜けて経営が傾いたN氏のレコード会社から、ほかの歌手の原盤権や会社にあった財物一式を買い取ったと伝えられている。
同社の社長は今回のリリースは“何の問題もない”と主張しているという。前出のレコード会社関係者も憤る。
「八代さんは人を惹きつける華やかさをもち、きらびやかなイメージがありますが、裏では地道な努力を重ねるタイプ。町中華が好きなど庶民的な一面もありながら、ボランティアや社会貢献活動にも精力的で、愛情深い人でした。
ただし表では自身の恋愛の詳細についてハッキリと語ることはなく、『歌手・八代亜紀』の顔を崩さなかった。
亡くなって1年以上経ちますが、こんなプライベート写真が公になるとは夢にも思わなかったはず。権利関係がどうあれ、業界内でも”亡くなった人の秘め事で商売をするのはどうなんだ”との怒りの声が上がっています」
2人だけの時間を切り取ったプライベート写真が出回ることに、八代さんは何を思うのか。
[via:ピンズバNEWS]
https://pinzuba.news/articles/-/10123
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