脱いでイメチェンに成功した女優たち
映画を語る上で避けて通ることができないのが“濡れ場”だ。人気商売の女優たちが自ら身体を晒すことはなかなかリスキーだが、脱ぐことでイメージチェンジに成功した女優もいる。
1983年、まだアイドルの印象の強かった小柳ルミ子は映画出演2作目の『白蛇抄』で初のヌードを披露し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。相乗効果で、公開の半年前に出したシングル『お久しぶりね』が久々のヒットとなった。
テレビドラマ『3年B組金八先生』などで好演していた名取裕子は、27歳を迎える1984年に初主演映画『序の舞』『彩り河』で立て続けにヌードに。
1987年の『吉原炎上』では五社英雄監督の指示通り、撮影中に下着を身に着けず、リアリティを醸し出して見事に遊女を演じた。
中でも衝撃的だったのは、夏目雅子だろう。1982年、『鬼龍院花子の生涯』で仲代達矢との濡れ場に挑み、“お嬢さま女優”のイメージを見事に覆した。なぜ、裸になる女優はブレイクするのか。
「物事を自分で考える力が備わっているからでしょう。『脱ぐことは落ち目』という安易な決めつけをしないし、作品における役の意味を理解でき、脱ぐだけが自分の全てじゃないとわかっている。女優が覚悟を持ち、制作者は女優の価値を落とさないように全力を尽くす。すると、良い作品になる」(映画プロデューサー・岡田裕氏)
1990年代になると、一時代を築いたアイドルが新境地を求めてヌードになることも増えていく。『クイズダービー』の回答者などで人気を博した斉藤慶子は1990年、『さわこの恋 上手な嘘の恋愛講座』でベッドシーンを演じた。
ドラマ『スケバン刑事』での主演から7年経った1992年、南野陽子はエイズ問題に真っ正面から向き合った『私を抱いてそしてキスして』で熱演。
『オールナイトフジ』の司会を務めた麻生祐未は同年、『課長島耕作』で抱かれた。清純派のイメージの強かった富田靖子は1995年、『南京の基督』で濡れ場を魅せてくれた。
脱ぐことで確固たる地位を築いていった女優もいる。
1994年、22歳の高岡早紀は『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の行水シーンで豊満な胸をさらけ出し、脚光を浴びた。2005年の『フィーメイル』では後背位で挿入され、「後ろからされるの初めて」「いろんなところが擦れて気持ちいい」と官能的に喘いだ。現在もフェロモンのある女優として誉れが高い。
「脱ぐはずの場面で脱がないと、作品としての価値が落ちます。かたせ梨乃さんや高岡さん、杉本彩さんなど裸を厭わない女優には観客も覚悟を感じるし、評価につながる。
彼女たちが証明しているように、乳首を見せるか見せないかはゴールではない。乳首を出すことはスタートなんです」(映画コメンテーター・有村昆氏)
21世紀に入ってからも、2008年『蛇にピアス』の吉高由里子や2014年『愛の渦』の門脇麦のようにデビュー当初に覚悟を決めて脱いだ女優は大きく羽ばたいている。一方で、ヌードシーンが減ってきていることも事実。有村氏が声高に叫ぶ。
「近年、CMが女優にとって最もギャラの良い仕事になっており、契約上の制約もあって脱ぎづらくなっている。
実際、映画で脱いでも、CMの数分の1しか身入りがないんです。この現象をひっくり返すため、日本国民一人一人が劇場に足を運び、映画の濡れ場の価値を高めようではありませんか」
[via:週刊ポスト]
https://www.news-postseven.com/archives/20160814_434672.html